ぶろぐ処 まつや

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SE管理職のキャリアストーリー

ふう、僕はこうやって「デジカ大学」とか言って、ブログ書いてますが、しっかりと働いている社会人です。
今回はそんな僕が歩んできた道のりを少しばかし、お話ししようと思います。
え、なんでかって?
なんか、自分の仕事関係も話したほうがいいかなと思って......
まあ、いうなれば、自己満ですね
今の会社は3社目になります。
とてもいい会社です!
大変ですけど......
では、ご紹介します!

システムエンジニア

大学生・院生時代

僕はとある北海道の大学で研究をしておりました。
内容としては義務教育の分野における電子教材の発展をテーマに行っておりました。
このテーマがすごく面白くて、院生にまでなったと言っても過言ではありません。
親とも喧嘩しましました。
いろいろな地域の先生方と出会い、交流をしていき、コミュニケーション能力を向上させ、なおかつうまいスケジュールの立て方なども勉強していきました。
おそらく論文を調べたら出てくるでしょう。
まあ、どんな内容を書いたかは教えませんが(笑)。
そんなこんなで、就職活動を迎えたとき、僕は推薦を2社受けましたが、全て面接前に落ちてしまい、やる気をぼっきりと折られてしまいました。
その時の先生の言葉を今でも覚えていおります。
「君は研究ばっかりしてるね、就活終わるまで、研究禁止!」
更なる絶望を受けつつ、僕は先生から僕の実力ならいけそうな会社を複数選んでいただき、その会社に応募するということをしていきました。
結論から言うと、2社に内定をいただく結果を得ました。
しかし、ここで僕のミスは情に絆されて、最初の会社を選んでしまったことです。
この会社、実はいい会社ではあったんですが、親会社がやばかったのです。

僕として話をしてて、温かみのある会社がいいなと思いましたが、それが結果的に罠でした
皆さんも就職先を決めるときはご注意くださいね

1社目 某王手広告会社の孫会社

孫会社はシステムを開発する会社でしたので、僕の分野にはマッチしておりました。
あ、就職場所は東京でした。
なので、初めて一人暮らしというのを経験しました。
会社のすごかったところはグループ会社の総数です。
かなりの数がございました。
そこに混ざって研修をしたのですが、自分のない部分ばかり見えてしまい、入社の半年ほどで休職をする事態になりました。
ここで僕の人生は狂ったといってもいいでしょう。
適応障害と診断され、慣れない環境下で起きたことが原因と診断されました。
結局、この会社では1年に1度のペースで具合が悪くなったことから、4年目にして北海道に帰る選択をします。
ここでの転職を妥協しなければよかったと、今でも悔やんでおります。

東京で少し過ごしましたが、環境にもあまり適応できなかったなというのもあります。
なので、北海道に戻る選択をしましたが、妥協だったかなと思います。
せかされたのもありますが......。

2社目 ベンチャー企業

新しく設立された会社でゆくゆくは社内SEみたいなことができるという触れ込みがあったことから入社いたしました。
実態は派遣会社と何ら変わりない現状であり、ブラック企業みたいな会社に飛ばされる事態になりました。
何とか、1社目の会社は乗り越えたものの、2社目の会社があまりにもブラックすぎてダウン8ヶ月でこの会社から離れる決意をいたしました。
その間、実は僕が趣味で行っている尺八の先生に連絡を取り、横のつながりでなんとか会社を見つけていただけないかというお話もしました。
結果、今の会社にたどり着きました。

というわけで派遣会社はつらいです。
会社が変わりますので、適用したころに離れるということも少なくないです。
僕は運命的な出会いをしますが、出会ってなければ今ではニートだったかもしれません。

3社目 某王手電話会社のグループ企業

完全なる社内SEで、僕が興味のあったプログラミングを組むことで業務の自動化ができるRPAという分野に精通している会社でした。
時給社員からのスタートではあったものの、最短でも3年あれば正社員相当の社員になれるという話を聞いてすぐに入社しました。
(決して、ハローワークに行きたくなかったからというわけでは、な、ないんですからね!)
そうして入った会社は風通しもよく、僕のやりたいことはかなり実現できる良い会社でした。
1年過ぎたあたりに、月給社員に昇格できる試験を受けたのですが、慣れないWeb試験ということもあり落ちてしまいましたが、正社員相当の社員になれる試験がその年から時給社員でも受けられることとなり、僕は躍起になって挑戦いたしました。
この判断は正しく、僕はうまく滑り込むことができ、正社員相当の社員に登用されました。
ですが、時給社員とのギャップが激しかったこと、大学時代はできていた管理の部分がうまくできなくなっていました。
これにより、何回か休職することとなります。
僕は、休職を1回したら、次はやめると決めていたものの、この会社以外の会社に行くのは考えられないと思い、継続して所属しております。
今も復帰明けであり、サポートを受けながら管理職の仕事をこなしております。

控えめに言っても、福利厚生がいい会社です
とても居心地もよく、やっと腰を据えて仕事をしていこうと思える環境に巡り合うことができました。
自分としては、休職を挟んでいるものの、これは会社が悪いわけではなく自分の体調管理がうまくいっていなかったことで起きた精神的なストレスが原因です。

今の仕事について

先ほども記載した通り、社内SEとして管理職の立場で仕事をしております。
主にOffice系のシステムを担当しており、ExcelVBA作成やPowerPlatformと呼ばれるMicrosoftのノーコード/ローコードのシステム作成をしています。
ノーコード/ローコードのシステムというのは簡単に言うと、プログラミングそんなに必要ないよということです。
そのソフトウェアを各部署へ宣伝しつつ、サポートする業務もしております。
今では、自分から作業をするということもなくなりつつあるものの、それでもたまにプログラミングをしてシステムを作っている現状です。
周りの視野を広く持っていくのが大事と痛感しております。

今はみんなに助けられながら仕事をしているものの、もっと自分でこうしたほうがいいのではと思うときもありつつもできていないというのが、今の僕です。
こういうダメな部分ばかりを見てしまって、気分が落ち込んでしまって精神的に自分をいじめてしまう癖がついています。
皆さんはなるべく早く助けを求め、相談役を見つけてください

最後に

皆さんの会社はどんな会社ですか。
風通しはいいですか。
上司のあたりは強くないですか。
転職するなら、思い立ったが吉日です。
勇気を振り絞って挑戦してみましょう。
きっと、あなたにとっての安住の地が見つかるはずです。
ちょっと固いお話になりましたが、これからもいろいろな記事を書いていこうと思います。
それではまた次回、まったの~!!